べにしじみこむ の蝶ブログ へようこそ

主に広島県で蝶の撮影をしています

逢魔が刻の飛翔

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昨年夏 撮影




  1. 2018/02/08(木) 23:12:42|
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黄昏時の追飛

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2017年5月17日 撮影





  1. 2018/02/05(月) 23:07:37|
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ヒサマツの美学

HISAMATSUNOBIGAKU-1


ゼフィルスには 二種類しか いない

ヒサマツか、それ以外か



(写真はクリックで拡大されます。大画面でおもいっきりブラウザーを広げていなければ、もう一回クリックで更に拡大されます。ノイズ、ピント、ブレなどの諸問題も拡大されますが、雰囲気などは分かりやすいです。)




 私の数少ない標本箱の中に、彼が鎮座している。
あの日のことは、いまだに脳裏にはっきり焼き付いている。
既にかなり飛び古しており、鱗粉は所々剥げ落ち、本来の美しさは失われている。
だが、長い尾状突起、特徴的な白帯の文字、
そして、本種を他のゼフィルスと判別する最大の特徴、気品、は失われていない。



SCENE 1
 愛用の竿がそこまで届くかどうか。
ぎりぎり、届かないかもしれない。
そこにある大きな倒木の上から振れば、届くかもしれない。
振った後、倒木から落ちるかもしれない。
どうしよう。

 竹のつなぎ竿をすべて繋ぎ、思いっきり手を伸ばし、よたよたしながらも、身体全体を使って竿を一気に振った。倒木の上から。
身体は宙に浮いた。
さすがに8メーター先についている捕虫網のコントロールは出来ない。
一か八か。全体重をかけ、彼、がいると思われる枝先めがけて、思いっきり振った。
網が狙い通りにその枝先に到達したかどうかは、はっきり判らなかった。
自分の着地のことも考えないといけないので、網の行方をずっと見届けられる状況ではなかった。
後は重力任せ。思いっきり振った、そのままの勢いで、竿と捕虫網は、地面に向かって落ちていった。
頼むから、入っててくれ。頼むから、網が地面に落ちるまでに、そこから出ないでくれ。頼むから、網が捻った状態で、落ちてくれ。




HISAMATU2018-1


 杉峠、蝶好きであれば、一度は耳にした事がある地名であろうか。
かつて、長竿が林立したという所である。私自身は行ったことはないが、噂は聞いている。
四十数年前に発刊された、生態写真を掲載しているのが売り物の、とある図鑑(小檜山賢二、高瀬武徳、藤岡知夫:カラー続日本の蝶、初版、東京、1972、山と渓谷社、52-55.)に、当時のそこで撮影した、ある種の写真が載っている。現在の感覚からすれば、驚きの写真である。こんな写真が、蝶類の図鑑(図鑑、といっていいのかどうか?図鑑の形をとった写真集、随想集、ともいえるかも。)に載るのか?逆光で、ピントは合っていない。辛うじて、その種とわかる様な写真である。そして、同じページに、その種の飼育品の写真が掲載されている。生態写真が売り物の本に、飼育品の写真を掲載するという、ある意味ルール違反をしているのである。それが本種であるからこそ許されたのだろう。要するに、屋外での生態写真が、極めて撮りにくい種、別格の蝶、だという事である。
その逆光の写真を見て、我こそは、と思った御仁は何人いらっしゃっただろうか。
やっぱり、こいつは規格外れの蝶だ、と確認された方は、数多いのではないだろうか?

そう、こういう、図鑑にのっけてもいいの?と躊躇するような写真こそが、ヒサマツミドリシジミの、正当な写真なのである。
ピント合わず、良く見ないと種類解らず、それで充分なのである。それしか撮れなかったのである。

その本は1972年発行である。ちなみにルーミスもピンぼけ写真(というより手ぶれ?)が掲載されている。今の感覚からすれば、なにこれ?であるが、私が初めてこの本を手にしたときは、驚愕したものである。凄い本だ、と思った。今から四十数年前に、こんな図鑑が世に出ていたのである。ルーミスがぼやっとした写真であるのは、私の実感からして、まさにこれがルーミスらしい写真なのである。当時、ストロボを焚かない限り、ルーミスはぼやっとしか写せないはず。蛇足であるが、ヒサマツの次にはヒロオビミドリシジミが掲載されているのであるが、このヒロオビミが素晴らしくピントが合って、しかも立体感がある素晴らしい写真なのである。その撮影地が、広島県加計、とある。加計は私もフィルムカメラ時代、ヒロオビを求めて足繁く通ったところである。が、とうとうピントの合ったヒロオビを撮影出来なかった。そういう意味でも、やはり私はこの図鑑を素晴らしいと思い、越えられない壁と敬い、いまだに手元に置いているのである。
この本は、図鑑として(図鑑といっていいのか?)の用は既になさない、今となっては懐メロ的な本であるが、読み応えのある本である。蝶好きであれば、一度眼を通される事をお勧めいたします。
 
 ところで、その図鑑のヒサマツミドリシジミの写真であるが、生態写真は昭和39(1964)年撮影、飼育品の写真は、昭和46(1971)年、とある(図鑑の発行年は昭和47(1972)年、ヒサマツの食樹判明は昭和45年(1970)、ちなみに、久松山にて1933年初採集)。その数年の間、ヒサマツのこれ以上の写真が撮れなかった、ということであろうか?はたまた、意図的に、こういう写真を掲載したのであろうか?これは著者に聞いてみないと解らないことであるが、解説のなかに、次のような一文がある。
” ようやく撮影したのが写真29である。ファインダーから覗くと、ヒサマツミドリシジミのVサインが逆光に映え、その姿はいまでも私の胸に焼きついている。 ”(原文のまま。引用させて頂きました。)
この一文を読むと、もしかするともっと図鑑映えする写真がその後撮れているにも関わらず、意図的にこのような(逆光でピント合わず)写真を掲載したのではないか?とも私は受け取っている。
敢えて、図鑑的な写真を採用せず、 ”胸に焼き付いた” 写真を掲載したのではないか?と勘ぐっているのである。
(それもあって、私はこの本は図鑑ではなく、どちらかというと随想集ではないかと思っているのである)
(もっと勘ぐれば、食草確定を印象づけるために敢えて飼育品の写真を載せ、そうすると図鑑的な生態写真は不要となるので、胸に焼き付いた写真を載せることが可能となる)
ヒサマツならそれが許される。
” ようやく ” と、 ” 胸に焼き付く ” この二語が似合う蝶は、まさに本種である。

これこそが、ヒサマツの美学である。

 杉峠、という名前、そして、この図鑑の写真が、まさに杉に留まった写真であった。
この二つのことから、私はゼフが針葉樹にとまっていれば、たちどころにそれはヒサマツと疑い、鼓動が早まり、発汗してしまう、パブロフの犬状態となり、今に至っている。
ゼフィルス性強迫性障害のうちの最重度のもの、ヒサマツ型を発症して久しい。
当初は若年期性障害であったが、いつの間にか壮年期型に発展してしまった。晩年期型に重篤化するのも時間の問題である。
6月ともなれば長竿を手入れしなければならず、伸ばしたり、縮めたりを何度も繰り返し、ストッパーのビニールテープを何度も貼り直す。
カメラを入念に点検せねばならず、さっき充電したにも関わらずもう一回電池の状態を確認し、ストロボの発光を何度も確認する。一脚を伸ばしたり縮めたり、伸ばしたり縮めたりを延々と繰り返し、シャドーシューティング。
ヒロオビ、メスアカ、あるいはアイノをファインダーに捉えているその瞬間にも、
コンナコトヲ シテイル場合デハナイ、ヒサマツヲ 追ウノダ、という声が脳内に響き渡る。
この疾患の患者は、私を含めて、いったい何人いるのだろうか?

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 前述の図鑑が世に出る1年前、1971年に、とある昆虫採集案内の本が発刊されている。
私はその第四版を広島金座街の古本屋で学生時代に購入した。(京浜昆虫同好会:新しい昆虫採集案内(Ⅱ)西日本採集地案内編、第四版、東京、1978、内田老鶴圃新社)
広島の本通りから金座街にかけてのアーケード通りに古本屋が何軒かあった時代である。貧乏学生は、古本を買うのである。定価では買わない。
7年間に第四版まで発刊されていることに注目。それだけの需要があったという事でしょうか。(おとな向けの)昆虫採集案内の本が、堂々と本屋で売ってあったという、古き良き大らかな時代である。もし現在、このような本を店頭に置こうものなら、PTA関係、あるいは自然保護団体関係、もしかすると環境保全関係、動物愛護団体関係、あるいはカルト宗教関係から抗議がでるかもしれない。
昆虫採集はかわいそうだ、殺しちゃ駄目だろ、残酷だ、自然破壊だ、虐殺じゃね?いい年した大人が何やってんの?まだそんなことやってんの?いつまでも子供じみたコトしてないで、いい加減大人になりなさい、等々。
少なくとも、その本をカウンターに持って行き、コレ下さい、と言おうものなら、レジの可愛いお姉さんに蔑みの視線を食らうだろう。アマゾンで宅配が無難です。
その本を読んでいて、ある一文に眼が釘づけとなった(京都北山の採集案内の所です。p142)。

" ヒサマツほど人間を狂わせた虫は他にないだろう " (原文のまま、引用させて頂きました)

 それ以上読み進められなかったこと、その夜はなかなか寝付けなかった事を記憶している。
 たぶん、この一文を書いた人は、人生を狂わされたのだろう。
 でもそれって、良い方向へ狂ったんですよね?

 これこそがヒサマツの美学である。

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 そもそもこの蝶は、ネーミングが良過ぎる。 
松竹梅のうちの最上級の松であり、しかもそれが久しいのだ。
久松山、きゅうしょう山、訓読みでヒサマツ、その山で初めて採集されたというのが、この蝶の名前の由来である(命名をされた方のセンスの良さに感謝いたします)が、ここからして、もう強運を持った、スーパースターとなるべく生まれたとしか言いようがない。
もし、広島で初めて見つかっていたとしたら、例えば、トゴウチミドリシジミ?ゲイホクミドリシジミ?ミヤジマミドリシジミ、だったら傑作だったかも。カンムリミドリシジミってのもあったかも。京都ならスギトウゲミドリシジミ?キタヤマミドリシジミ?なんてことになっていたかもしれない。
それより、ヒサマツミドリシジミ、のほうが遥かに語感が良い。
間違っても、コガタメスアカミドリシジミ、あるいはアイノミドリシジミモドキにならなかったのはラッキーであった((^_^;)。ブイジミドリシジミ、ってのも可能性としてはあったかも(\(^O^)/)?
日本特産種であるということ(台湾に近似種がいるという話しだが、私は詳しくは知りません。)も、大事なスーパースターの要素である。
 稀種といえば、例えば、タッパンだとか、ゴイシツバメや、ベニモンカラス、あるいはヒョウモンモドキ、等がすぐさま思い浮かぶが、これらとヒサマツとは、決定的に違うところがある。
ヒサマツはゼフィルスであるということ。しかも光り輝くクリソだということ。だから、別格の蝶となり得る訳である。
(個体数は、ヒサマツが圧倒的に多いんじゃないでしょうか?)
これが例えば、ルリシジミの仲間であったとしたら、あるいはセセリの仲間であったとしたら、ここまで人気がでるであろうか?(ルリシジミさん、セセリさん、ご免なさい。別に悪気があるわけではありません。)

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 さて、またまた1971年の話しとなる。
どうもこの頃は、蝶屋、虫好きにとっては黄金時代のようで、現在に至るまで延々と発行されている、” 月刊 むし ” が生まれた年でもある。虫関係の商業誌の雄である。
何故か創刊号が、1号ではなくて、0号なのであるが(どういう意味があるのだろうか?)、さて、その一番最初のページには、何が載っている?
グラビア、つまり口絵の写真である。つまり、虫関係の月刊誌の、創刊号のスタートは何だったか?ということである。
初っぱなに載っける物は、やはり、皆が納得できるような物でなくてはならない。
そう、ヒサマツである。
ウラジロガシに産まれたヒサマツミドリの卵(原章氏写真)であった。前年の秋にやっとヒサマツのホストが確定、そのお祝いの意味もあったのであろう。その当時、虫関係で最も大きなニュースだったのだろう。虫関係の月刊誌が出版される、その直前に食樹が判明され、それが口絵を飾るという、タイミングが良すぎる。やはりヒサマツはスーパースターとなるべき運命を背負った虫である。もちろん、本文記事のスタートも、ヒサマツからでした。

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 いわゆる有名産地に出かけることがある。
そうすると、大抵は同好の諸氏にも遭遇する。
初めて出会った人と、無駄話、情報交換。
アイノが確実に撮れるところは?できれば見下ろす角度で撮りたいんだけど。フジは、どこで撮れる?いつ頃いけばいい?吉和のオナガって、前からいたの?最近広島でキバネ見た?ホシチャバネ撮りたいんだけど、ポイント教えて。ギンイチモンジセセリが多産するところない?世羅は、もういない?恐羅漢、最近登った?冠の状況はどう?
 いろいろお互いに質問するのだが、どこか物が挟まったような会話なのである。
周りから攻めていっている。一番聞きたいことが、お互い判っているけど、口に出せない。
話題がとうとう枯れた頃に、ぽつりと、困ったような顔をして尋ねるのである。
 ところで、ヒサマツは?
聞かれた方も、困った顔をして、答えるのである。
いやー、私も教えて欲しいと思っていたところです。
(ヒサマツ三昧の人もきっとこういうだろう。誰が教えるかよ。)
 一番聞きたいことを、何故、趣味人は最後に聞くのだろうか?
あるいは、なぜ、聞けないのだろうか?
あるいは、何故、敢えて聞かないのだろうか?

これこそが、ヒサマツの美学である。


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 ジョウザンをとって、エゾだと言い張るのもよい。
アカをとって、ミナミアカだと訴えても良い。
メスアカをとって、アイノだと主張してもよい。
まあ、そうかなと、周りは思ってくれる(かもしれない。ちなみに、私はこれらの区別は殆ど出来ません)。
標本箱に納めてあるその個体が、ボロボロであれば、あるいはアルバムに貼ったその写真がピンぼけでブレぶれであれば、その主張は信憑性を帯びるのである。
だが、こいつだけは、誰がどう見ても、これしかないのである。
蝶のドシロートが見ても絶対に判別できる。VとWは。
エゾ、ミナミアカ、アイノの場合、ボロボロで、近似種との判別が難しい標本(あるいは写真)であれば、だれも見向きもしないが、ヒサマツであれば、みんな、感激してくれる(くれた?)のである。(辛うじてVが解る程度のすれ具合がちょうど良い。)凄い、苦労してと(採、撮)ったね!!!
ところで、どこでとったの? 
この一言を、何度言おうと思ったことか?そして何故言えなかったのか?

これこそが、ヒサマツの美学である。

 たぶん教えてくれないだろうが、一応、聴いてみるのもよかったかも。教えてくれたら、交換条件で、モドキの意外なマル秘ポイント、教えてあげるよ。交換条件が軽すぎるかなあ?
ああ、何年前の話だろうか?

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 綺麗なマクロでの撮影は、飼育品でのものと勘違いされた。
もう三十年近く前になると思う。私が初めて撮影し(かなり綺麗な個体をマクロレンズで撮影出来た)、とある会合でその写真を持参のキャビンのプロジェクター(懐かしい。中古で買いました。今は無きコダックのカルーセル型に比べると鈍くさい物でしたが、愛用させていただきました。時代が分かるでしょ?)で披露したとき(スライドフィルムでした)、飼育品だ、との声が会場から漏れていた。(ところで、KRって、解りますか?RDPって何?チョウの撮影をする時、私は主にRDPを使っていました。KRだと、手ぶれの確率が高くなる、というのが最大の理由でした。べとっとした感覚が好きだったので、KRも使いたかったのですが、やはり手ぶれが怖い。ASA400の製品も一回使ったことがありますが(名前忘れた)、あれは外れだった。今のマイクロフォーサーズの高感度よりももっと粒状性が悪かったような記憶があります。)
綺麗な個体が、接近戦で撮影出来るはずがない。飼育品に違いない。
写真が綺麗であれば綺麗であるほど、その出所を疑われる種でした。
本種かどうか、よくわからないが、たぶん条件から考えて、ヒサマツだろう。たぶん。おそらく。もしかすると。
そうで有って欲しい。
という、そうかどうかわからない、遠距離でなおかつブレぶれで、ピンぼけな画像、欲目で見ればV字っぽい、それこそが、本種の正当な写真なのである。
 バランス崩したら、崖から落ちる。左手を離したら木から落ちてしまう。さっき向こうの斜面を動いていた黒い塊、こっちに来ないよね?
そういう過酷な状況で撮影してこそ、立派なヒサマツ写真となるのである。であるからして、ピンぼけ、ブレぶれはあって当然である。それらは写真の隠し味、味付けとなる。
 冒頭の写真、コレはもう誰が見てもヒサマツである。
しかも綺麗ではないか!コレでは駄目なのである。
高嶺の花ヒサマツ、憧れのヒサマツ、の写真ではない。
コレはもはやジョウザン化したヒサマツの撮影方法である。
ヒサマツかどうかよくわからない、たぶん、それっぽい、消去法から考えて、多分そうであろう、とやっとこ断定出来るような、それこそが、垂涎の蝶の写真なのである。
 一瞥で、おお、ヒサマツじゃないか、と判断される写真は、ヒサマツ写真としては、実は二流である。
ただの記念写真である。
その個体が完ピンであれば、もはや三流以下となる。
飼育品で誤魔化しているんじゃネーよ! と思われて終わりである。
図鑑写真、として一流の写真は、ヒサマツ写真としては、ゴミである。
ココが他のゼフィルスとは違うのである。
一流のヒサマツ写真とは、よーく見て考えて、やっとこ、もしかして、ヒサマツじゃないの、これ?
というような一品なのである。それこそがヒサマツ写真としての逸品である。
撮影者の苦労が慮れる、それこそが、ヒサマツ写真の醍醐味である。
 おお、開翅してくれたぞ。周りの撮影者達が歓声を上げた。って状況は、はっきり言って、ヒサマツの撮影ではない。ジョウザン化したヒサマツである。アイノやキリシマを撮ってるのとは訳が違うのである。
一対一で真剣勝負すべき蝶なのである。他人の歓声などそこにはない。自身の心臓の鼓動のみが聞こえる。
微かに聞こえるBGMは野鳥のさえずりと、時々の遠雷。

 これこそが、ヒサマツの美学である。

 汗だらだらになりながら、足を棒にして探しまくる。
時節柄、通り雨にずぶ濡れになる事もある。そもそも梅雨なので、探せる日数も限られる。
他にもとりたい蝶があるが、ぐっと我慢して、可能性に賭ける。運に賭ける。
 昨冬、嘗めるように見た2万5千分1地形図で、この尾根がくさいと思った。
熊よけの鈴をお供に、えっちらおっちら山登りである。日頃の運動不足が堪える。
来るのに苦労したが、この空間は有望に思える。
 向こうの針葉樹でゼフっぽい飛翔があった。ゼフィルスのくせに針葉樹だ。
この時間、こんな山でテリはりするって、彼しかないだろ?
おもむろに望遠レンズを向ける。

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 こっちを向いている。翅はよく見えない。
まずは触角と尾状突起を確認。橙と白の状況からほぼ確定される。
やはりヒサマツがいた!
蝶が葉上で少し向きを変えた。
時機を逸して翅はぼろぼろになっているようだ。
ぼろとは言え、なぜかその尾状突起は、長さを保ち、毅然とした面持ちでテリを張っている。
この気品は彼しか醸し出せないはず。
そして、辛うじて読み取れる文字は、V。
心臓がバクバクしてくるのが判る。手ぶれどころではない。
興奮してメガネが曇る。ファインダーが見えない。
その状態で撮影した代物は、もはや人に見せられるような物ではない。
だが、自分の脳裏には強烈に美しく輝く記憶として刻み込まれる。
ヒサマツ撮影のクライマックスは、目映いばかりに輝く翅表を撮った時ではない。
採集のクライマックスは、ネットインした瞬間ではない。
初めての山でその気配を感じた時である。
未知の山で初めてそのvを見た刻である。
汗びっしょりの状態で、心臓の鼓動を感じながら、である。
勿論、BGMは、野鳥の囀りと、遠雷である。
そこに自分以外の人は存在しない。
がさっ、とする物音は、たいていの場合、鳥か兎か鹿である。運が悪ければ、熊である。
プーさんや、くまモンであればラッキーだが、ツキノワグマであったら最悪である。
人であったら興ざめである。熊よりは僅かにラッキーだが、せっかくの彼との勝負が邪魔されてがっかりである。

その登山者はこう言うのである。
ああ、びっくりした。熊かと思った。こんなとこに人がいるかよ。
(その御言葉、そっくりそのまま、お返しいたします)
こんなとこで何を撮ってんの?
蝶です。
え?ちょおー?蝶?なんと物好きな、といわれ、しげしげと見られ、蔑みの一瞥をおいて、その人は去るのである。
蝶ではなくて、鳥、と言えば、多少の尊敬が得られたかもしれないが、正直に言うとこうなるのである。
まあいい。

彼との勝負の後、下山中に雨に祟られれば、ますますその記憶は美しく輝くのである。

 これこそが、ヒサマツの美学である。

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 長年蝶を追っている方の標本箱を見るがよい。
その人が蝶屋として一流であればあるほど、綺麗でほぼ完ピンと言っていいような標本が並んでいる筈である。
だが、よく見て欲しい。沢山あるドイツ箱、その中で一番古ぼけたヤツを。
ぼろぼろの蝶が幾つか並んでいる筈である。
標本としては殆ど価値がないが、自分自身にとっては大きな価値を持つ蝶たちが並んでいる。
初めて採集し、初めて自分で展翅した蝶が一つ。それはモンシロチョウかもしれないし、アゲハかもしれない。
へたっぴいが展翅したものだから、翅脈に疵がついている。よく見ると穴も空いているが、強引に引っ張ったに違いない。
翅が水平でないのはご愛敬である。
それはたぶん三十年以上前の標本であろう。
そして、鱗粉が崩れ落ちてはいるが、辛うじて残っている片方の尾状突起が異様に長いゼフが一頭、並んでいる筈だ。
それは、もしかすると、3年前の個体かもしれない。
彼の武勇伝を肴に酒を酌み交わすのもよいだろう。いつもは寡黙な人が、饒舌になる話題である。
ネットを振る意味が判るかもしれない。
ネットで捕るものは、ある方向から見れば、殺傷、残酷、希少種の減少、自然破壊、かもしれない。
だが、ある方向から見れば、浪漫、審美、情熱、自然の謳歌、かもしれない。
どちらに見えるかには、貴殿の今までの経験や、付き合い等が多分に影響するのだろうか。

 残念な事に、採集者を”ネットマン”、と侮蔑する人達が少なからずいらっしゃるようである。
撮影者が、採集者を見下しての表現であろうか?
が、蝶に対しての熱量は、採集者の方が遥かに多く持ち合わせているように私は感じている(これもある意味偏見です。異論は認めます。)。
まあ、もちろん個人差もありますし、今後は分かりませんけど。草食化の時代が続けば、採集者は希少種になるかもしれない。ヒサマツより稀少な存在になるかもしれない。そうすると、カメラマンは、その希少種を追うのであろうか?稀少だから、カメラで追ってるんでしょ?
冗談です。すみません。
 話しがずれた。標本箱に戻す。
その標本箱の持ち主に尋ねてみるがよい。
貴殿の標本箱の中で、一番美しいヒサマツはどれ?
沢山並んでいる完ピンの飼育品を選ぶことはない。
確実にとれる、と有名な産地のラベルが貼ってある個体を選ぶことはない。
近似種との区別が困難な、ぼろぼろの採集品を選ぶはずだ。ラベルには、聞いたこともないような地名が書いてある、もしくは、ラベル自体、添付されていないかもしれない。
いやー、こいつが、私には一番綺麗に見えるんですよ−。

これこそが、ヒサマツの美学である。

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 聞くところによると、ヒサマツが多産するところがあるそうだ。
そこに行けば、まず、撮影(採集)が出来るとのこと。
なるほどそれは凄い。
ただ、それは、ヒサマツのジョウザン化であって、それはヒサマツであって、ヒサマツではない。
確実に撮れる(採れる)、という堕落した形容詞が、ヒサマツという高貴な言葉にかかってはいけないのである。
ましてや、条件のよいところに本種が降りてきて、複数のカメラがそれを囲む、というのは、もはやヒサマツの撮影方法ではない。ディズニーランドで大勢の観光客がミッキーマウスを撮影している如くではないか?(それはそれで楽しいのであるが)
不世出の大女優の周りにカメラマンが群がる、ということはあってはならない。
中学時代からそのブロマイドを宝物とし、長年恋い焦がれてきた万年青年は、至近距離の憧れに対しシャッターを切れない。手が震えてしまうのである。せいぜい、遠目から、憧れの眼差しを送るのが関の山である。
多産地で舞い降りた本種に群がる人達の目に、はたして、ヒサマツは映っているのだろうか?おそらく、その半分くらいの人達の目には、ヒサマツは映ってないのではなかろうか?
見えているのは、以前から噂に聞いていた、なんとかいう希少種。
幾つかある希少種のうちの一つに過ぎない蝶である。
その騒がしい人だかりから、少し離れて呆然と立ち尽くしている、ご年輩の方の心には、たぶんヒサマツがいる。

 これこそが、ヒサマツの美学である。


 出るかどうかわからない、出ても、撮れるかどうかわからない、そういうポイントこそが、最良のヒサマツポイントである。(楽に、確実に撮れるポイント、ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非お教え下さい。交換条件は、かつてモドキが多産した湿地情報です。今はいません。(*^o^*))
 モドキはいつの間にかいなくなったが、ヒサマツの希少性も、いつの間にか無くなったようだ。

 かつては、はなから手を伸ばそうとしない、はじめから諦めている高嶺の花。
現在は、ちょっと手を伸ばせば届きそうであるが、なかなか届かない蝶、であろうか。
高嶺の花は、地上にもって降りたとき、もはや駄花となる。
一人で憧れて悶々としているからこそ高嶺の花である。手に入る算段が整ったとき、それはもはや駄花となる。
ヒサマツはもはや堕ちたのか?

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 何期にも亘って、さんざん探し回った。本命のポイントでは振られ続け、人づてにどうにか聞きだした(聞いてしまった!)、絶対に出ると言われたポイントでは雨に祟られる。出そうな所を地図で探して目星をつけ、時期はずれに(おそらくもうボロになっているであろう時期に)、やっとこ遭遇。もちろん、ボロボロである。尾状突起が片方残っているが、途中でちぎれている。本来の長さを想像するに、なおかつ醸し出す雰囲気から考えて、本種に違いない。片方残っている触覚もそれっぽい。橙が目立たないが、たぶんくすんでいるだけだ。たぶんヒサマツだ。絶対そうだ。そうとしか思えない。そうでなければ困るのだ。ここまで時間と労力を費やしているのだぞ。白帯は?おーまいがー、非情にもダブリューっぽい。ココが欠けていて欲しかった。確かにヒサマツにしてはちょっと大きめだと思ったんだよな。色合いもちょっと違うと思ったんだよな。飛び方もちょっと微妙だと思ったんだよな。なんでファボがこんな時間にこんな所に留まってんだよ。希望と現実の落差に打ちひしがれる。ここまで来るのに何時間かかったんだよ。どれだけ汗を流したんだよ。久松、くしょう、ちくしょー。恨み節、恨み節、以下略。
まあ、他種であれ、遭遇出来るだけでも上出来である。副産物に出会えるというのも探索の旨味ではあるが、かすりもしない事が多いのが現実である。
坊主を何度繰り返したことか。似たような経験がある方は、少なくないのではないだろうか?
次こそは、と何度思った事か。

 これこそが、ヒサマツの美学である。

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 杉峠、蝶好きであれば、一度は耳にした事がある地名であろうか。かつて、長竿が林立したという所である。
私自身は行ったことがないので、どの様な場所なのかも全く知らない。
想像するに、近辺の探索はおそらく執拗になされたのではないだろうか?
杉峠に長竿が林立していた頃、それを尻目に、敢えてそこに行かずに、黙々と新産地を探索していた無名の多くの蝶屋がいたはずである。彼らの多くは無駄骨を折っただけであろう。中には、一発当てて、たった一人で本種と対峙していた蝶屋もいたであろう。
 本種に限らず、様々な種の生態が解明されてきた。特に本種に代表されるような、いわゆる希少種の各ステージや生態を写真で撮るのは困難を極める事業であろう。
ここ最近、”月刊むし”に、ヒサマツの生態が、写真とともに解説されていた。
隔世の感を感じるのである。口をぽかんと開けて、一気に読んだのである。
このような偉業が成し遂げられるのも、情報が共有され、撮影の簡単なデジカメが発達してくれたおかげであろうか。
もちろん個人の情熱が最大の原動力であろう。
未知を既知としたい、高嶺の花を自分の物としたい、という人間の本能に、垂涎の蝶の生活史がベールを剥がされていく。
いまや、新産地が続々と見つかり、その情報を得さえすれば、気軽に撮影にいける蝶となった。

 かつては既知の生態(食草、出現時間など)を頼りに地形図と睨めっこしてポイント候補を探し出す、そして地道に現地探索、というのがその蝶を手に入れるための方法であったと思う。
周りには同行者以外はいない。
一方、最近では椅子に座ってパソコンで検索して既出の採集記、撮影記からポイントを割り出してその蝶をゲットするという、ある意味、おりこうさんな方法もある。
結果、一カ所に人が集中することになる。
安易を選んでしまうというヒトの生態の一つであると思われる。

 ヒサマツの食草がまだ解っていない時代、多くの蝶屋がその解明に奔走したのではないだろうか。
ロマンがあった時代である。
解っていないことがある、人智を拒む蝶がいる、しかもそいつはゼフで光り輝く、という素晴らしい時代。
蝶に懸賞金がかけられるような、そのようなわくわくする時代に、また戻って欲しいと思うのである。

 かつて蝶屋を奔走させたヒサマツ。
そのような蝶が、今後、本邦に現れることがあるのだろうか?


 ヒサマツを身近な蝶にして頂いた、多くの蝶屋、先人達の努力に感謝したい。
と同時に、恨めしくもあるのである。
ヒサマツからロマンが消えていく。

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SCENE 2
ヒサマツの初ネットに気をよくした私は、壮大な目標を立てた。
日本産全種制覇。全種ネットインすべし。
ヒサマツが採れたのだから、他種は、わけないだろう、と思ったのである。
(こういうのを大いなる勘違いといいます)
その一環として、まずヒサマツの再採集、すなわち、完ピンを採りたいと思った。
やっぱり、完ピンを採りたいと思ったのである。
 翌年。 
やはり上を飛んでいる。
とてもじゃないが、8メーターの継竿ではたわない。どうすべきか。
上を見ながら暫く途方にくれていると、なんと、降りてきた?
え?ヒサマツって、降りることもあるの?知らなかった。
ヒサマツ、イコール、長竿、と刷り込まれている私には仰天だった。
よし、下草に留まってくれ。静止してくれ。空中戦で振るのは自信ないから、留まってくれ。
下草に留まってくれさえすれば、標本箱行き確定だ。
でもまて、今、自分が構えているのは、思いっきり継ぎ足した8m竿だ。これでは長すぎて、手も足も出ないよ。
足元に留まったら、これって、喜劇ではないか?
どうしよう。対策を頭の中で考えるが、妙案が浮かばない。下手に動けば、蝶は逃げるだろう。
長竿を持ったまま、動かなかった。動けなかった。
 そして、留まるのを待った。凄く長い時間に感じられたが、実際は、ほんの一瞬の事である。
残念な事に(今回の場合は、ある意味ラッキーなことに)、スグ目の前に降りてくれるのではなく、途中で少しばかり方向転換し、灌木の向こうへ降りていった。
留まった所は見えなかったが、向こうに降りたはずだ。よし、もらった。
大急ぎで竿をばらす。ネットが付いた継竿の一段目と、念のための二段目の竹竿を持ち、降りたと思われるところへ、灌木の向こう側へそろりと近づいていった。着地点を見ていないので、直ぐに見つかれば良いが、と一抹の不安があったが(下に降りたゼフって、見逃すことが多いんですよね)、その不安は杞憂であった。
見つかるもなにも、その光景は勝手に眼に飛び込んできた。

 そこで見たものは?
 
 度肝を抜かれた。

 蝶が燃えている?

光っているとか、輝いているとか、そういう言葉ではなく
燃えている?と一瞬思った。
それほど強烈な光景であった。
本種は自然光では翠に輝く、と聞いていたのであるが、違う色だった。
ガスバーナーの、あの青白い炎、あの温度の一番高い、むしろ白い先端。

なるほど、クリソゼフィルスは、光の当たり方によっては綺麗に輝く、とは知っていたし、実際、谷間でテリトリーを張る彼らが煌めくのは何度もみていた。ドイツ箱の中で煌めく彼らを幾度となく観ていた。
ただ、今回のヤツは、スケールが違った。
どんなに完ピンの飼育品でも、標本箱の中で、これだけ発光することは絶対に無い。
図鑑や写真、あるいは標本箱に収まったヒサマツは、何回も見てきたが、それとは別者がそこにいた。
そもそも、目映すぎて、それがほんとにヒサマツかどうか、判別できなかった。

 彼は、私の標本箱にはいない。
振り逃がしたのではない。
呆然と見ていただけだった。彼が喬木の梢へ帰って行くまで。
ヒサマツの初ネットのおかげで、日本産蝶全種の採集制覇(ネットイン)、を夢見たが、
次のヒサマツで、あっけなくそれを捨てた。
カメラのカタログを集め出したのは、それからである。

 あれは何だったのか?
 幻光なのか?
 私の心象が投影されていたのか?
 病状が最終段階に悪化したのか?

 あの時の彼にもう一度会いたい。
もう一度出会って、あの輝きを撮りたい。何故あんなに強烈に燃えていたのか、その理由が知りたい。
が、それは無理である。
彼はとっくの昔に、土に還っている筈だから。

だが、その子孫達が手ぐすね引いて待っている。
地獄、もとい、天国に引きずり込むために。

 あの光景をもう一度見たいが為に、そして今度はカメラに収めるために、また山に登るのである。

いつも返り討ちにあっています。
出会えないことのほうが多いですし。

20170702-1

 




 蝶を追い始めた頃、図鑑をみて呆然とした覚えがある。
これは、間違い探しゲームではないか?
どのように区別するのか?標本をじっくり見れば判るかも知れないが、現場では無理だろ?
もちろん、ゼフィルスの鑑別のページである。

 蝶の初心者のころ(いまだに初心者だと言われますが)、あれほど悩まされたゼフの判別。
今はもう、まったく悩まなくなった。
ゼフィルスには二種類しかいないのが解ったから。
ヒサマツか、それ以外か 。 (やっぱり初心者?)

P7020922











  1. 2018/01/03(水) 01:17:30|
  2. 未分類

2017年度最高の1秒

 今年度、最も多くシャッターを切ったのは、たぶん本種。
次にゼフィルス、そしてクロヒカゲモドキ、の順だと思います。
この三種(ゼフはしつこく追ったのは1種のみ)で、おそらく今年度のシャッター数の9割(以上)を占めるのではないかと思います。

 今年最後のエントリーは、私の今年度の、最高の1秒です。

今回提示の写真は、大急ぎで、しかも下手くそな現像なので、お見苦しいところもあるかと思いますが、ご笑覧頂けると幸いです。

20170507-DSC_2980
2017/05/07 17:27:03.60

20170507-DSC_2983
2017/05/07 17:27:03.90

20170507-DSC_2984
2017/05/07 17:27:04.00

20170507-DSC_2985-2
2017/05/07 17:27:04.10

20170507-DSC_2986
2017/05/07 17:27:04.20

20170507-DSC_2987
2017/05/07 17:27:04.30

 本種の絡み(回転飛翔)は、ゼフィルスやクロヒカゲモドキのような綺麗な回転にはなりません。
その継続時間も短い。ただ、たった0.1秒でも、結構動いているのが、写真でもお解りいただけると思います。
はじめの写真と次の写真の間は0.3秒経過、その後の写真はすべて0.1秒間隔です。
秒10コマ程度の連写では、蝶の回転飛翔を追うのは難しいというのがおわかり頂けると思います。
民生用のフォーカルプレーンシャッターでの最高連続撮影はせいぜい十数コマ/秒。
電子シャッターでは、60コマ/秒なんていうのもあります。
フォーサーズで60コマ/秒、フルサイズで20コマ/秒程度、が現状での最高のようです。
60コマ/秒も撮れれば御の字なんですが、問題は、連続撮影可能枚数と、ストロボの追随。
ミラーレスでは、フォーサーズ陣営とソニーが頑張ってくれていますが、まだまだ蝶の回転飛翔を撮るには不満足な性能です。出来れば、フルサイズで、30コマ/秒、少なくとも30秒程度の連写(アカタテハなら3秒あれば十分ですが、ゼフなら30秒でも足らないこと有り)、つまり1000枚程度の連写可能枚数で、なおかつそのすべてのコマにおいてストロボが追随して欲しいです(発光量は僅かで良い)。ニコン、キャノンがそのうちフルサイズのミラーレスカメラを出すという噂ですが、期待しております(買えるかどうかは別にして)。

 本種の回転飛翔はあっという間に終了してしまいますが、一方、その後に続く追飛は(二種に比べて)圧倒的にダイナミックで、延々と続きます。
大空を駆け巡ります。

 本種は基本的に美しい翅をしており、しかも青空バックであれば、補色になるので、映えます。
夕方に占有行動をとるので、夕陽、はたまた夕焼けを背景にダイナミックな飛翔写真が撮れます(撮れる可能性があります。夕焼け背景の回転飛翔を撮れる蝶って、極少数です。)。
(写真の画面上で)太陽より高い位置で回転飛翔をしている蝶の写真、これが撮れる(可能性がある)のは、種類が限られてきます。ゼフィルスならあれ、タテハなら、これとあれ?ヒカゲなら、あれ?が撮れるかもです。
本種は、極普通種ですが、飛翔写真を撮るのであれば、なかなかフォトジェニックな蝶です。

 二頭の眼にピンを持ってくるのは、至難の業、というか、まさに偶然に期待するしかないです。
年に一枚あるかないか。なくて当然、あったら祝杯もの、です。
今後、動画で撮って、それから切り出し、という時代になるかもしれませんが、現状で、どの程度、撮れるのでしょうか?(近い将来、私もそういう撮影をしてみたいと思っています)
基本的には、蝶の飛翔は、静止画ではなく、動画、動きとして見るのが、より迫力を感じられるのではないかと思っています。今後、撮影機材の向上により、動画を撮影される方が増えてくると思うし、それが自然な流れではないかとも思います。
 では、静止画に意味が無いかというと、そういうことでもないです。
たった一枚、それで動画よりも迫力がある、そのような一枚が撮れるはずです。
それでこそ、 ” 飛翔写真 ” といえるものでしょうか。
蝶の視線、その羽音、そして究極的にはその意思までもが感じられる飛翔写真を撮りたいと思い、今年も沢山シャッターを切りました。

 フィルム時代には決して出来なかったことが、難なく出来る時代となってきました。
フィルム時代に、アカタテハを撮ろう、しかも飛び姿を撮ろう、とは思わなかったです。
フィルム代もったいないし、そもそも(私は)撮れなかった。
10年後には、どうなっているのだろうか?

 
 今年も、あと数時間で終わりです

 本年も いろいろと お世話になり 有難う ございました
皆様、良いお年を お迎え下さい



付け足しですが、回転飛翔中に脚を伸ばすか、という事ですが、
アカタテハに関しては、たぶん伸ばしていないことが圧倒的に多い、と思われます。
そのような写真が撮れるのはごく稀、ではないでしょうか?
まだ今年度撮影した写真をすべて見直しているわけではないので、もしかするとあるかもしれないけれども。
アゲハ系統については、今年はチャンスが殆どありませんでした。来年トライしてみたいと思っています。
 そもそも何のために相手の周りを飛び続けるのか?それが知りたい。
少なくとも闘争ではなさそう、と思います。


  1. 2017/12/31(日) 19:33:15|
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紅いウラギンシジミ

20171230-PC300167

 冬の光りが 木々のスリットをくぐり抜け 分光し
 越冬蝶を紅く照らす


 フレアも善し悪しかと


2017/12/30 東広島市にて撮影
越冬中のウラギンシジミ
OLYMPUS E-M1MarkⅡ / M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO+MC-14
絞り優先AE, F5.0 1/1600   +1.0EV  ISO640   MF
Lightroom Classic CC







  1. 2017/12/30(土) 17:40:06|
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